自らのスキルを
患者さんの回復に役立てる
「栄養士」という仕事の
やりがいが、ここにある
コメディカルスタッフとして栄養士が進むべき道 vol.1
社会医療法人 近森会 栄養サポートセンター
臨床栄養部 部長
栄養サポートセンター長 NSTディレクター
美作大学大学院 臨床教授
宮澤 靖先生

医療施設の治療現場で、管理栄養士が中心となって栄養管理を行うNST(Nutrition Support Team=栄養サポートチーム)。宮澤先生はアメリカでNST運営を学び、日本でその普及に力を尽くされました。ご自身がどのようにコメディカルスタッフとして成長されたのか、その歩みを振り返るとともに、後進に期待することや、栄養士が臨床で活躍するための心がけなどについてお話していただきました。

「栄養」の奥深い世界を知って
今や、臨床栄養管理の第一人者として、治療はもちろん教育に携わり講演活動も行うなど、幅広く活躍されている宮澤先生。臨床栄養管理について話される表情はイキイキと輝いていますが、「もともとこの分野に興味を持っていたわけではないんです」と笑顔を浮かべます。
「北里保健衛生学院(現・北里大学保健衛生専門学院)で学びましたが、そこに入学したのも、ある意味流れ。“栄養士になりたい”という強い思いがあったわけではありませんでした。それまで食事や栄養にそれほど関心もなかったのですが、勉強を始めて、“栄養次第で治療成績も変わるし、普段の食生活に気を配れば、寿命を延ばしたり生活の質を向上させることもできる。栄養ってこんなに奥深いものなのか!”と、がぜん興味が湧いてきました」
管理栄養士として治療に役立てるようチーム医療についても学び、卒業後は生まれ故郷・長野市の総合病院に就職。けれどそこで待っていたのは、ひたすら厨房にこもって患者さんに提供する食事をつくる毎日でした。
「身につけた知識を臨床で活かしたいと病院で働くことを選んだものの、そうした活動がほとんどできない。医師でもある教員が多い学校で “医療施設で働くからには、患者さんと関わって治療に貢献しようという意識が大切”と教わってきたので、こうした日々に大きな違和感を抱いていました」
思い描いたような仕事をするにはどうすればいいのか。自分なりに情報を集めたり文献を読む中で知ったのがNSTの存在だった、と先生は振り返ります。
「診療の一環として、医師や看護師などの医療職がチームを組み、患者さんの症状や疾患に応じて栄養管理を行う。そしてその中で、“栄養の専門家”として管理栄養士が重要な役割を担う。自分がやりたいのはまさにこれだ、と思いましたね」
時は1990年代前半。NSTは欧米では広まっていたものの、日本で取り組んでいる医療施設は皆無に等しかったそうです。そこで先生は、NSTを実地で学ぶためアメリカに渡ることを決意しました
アメリカの栄養士の高い意識に刺激を受ける
1993年に先生は渡米し、エモリー大学病院に留学しその後、入職します。そこでの2年半は、毎日が驚きの連続だった、と先生は語ります。
「日本では調理しかしたことがなかったのに、初日から病棟に出てNSTに加わりました。言葉はもちろん、医療従事者としての基本的な知識も不十分な状態で、苦労は多かった。けれど、ずっとやりたかったことができている。楽しくて仕方なかったですね」
また先生は、現地の栄養士の意識にも刺激を受けたそうです。
「日本では、自分の知識や技術で患者さんを回復に導く、という気持ちが栄養士にあまりなかった気がします。けれどアメリカの栄養士には皆、“自分たちの仕事は人の命を預かるもの”という認識があった。当然、治療現場で要求される知識や技術のレベルは高いのですが、その分やりがいも大きくて、皆イキイキと仕事をしている。日本との大きな違いを感じました」
自分たちの努力や勉強の成果で患者さんの人生が変わる、あなたが怠けたり中途半端な気持ちで栄養管理に携われば患者さんが不幸になる場合すらある、と指導されたことが何度もある、と先生は言います。
「それぐらい、アメリカでは栄養士の意識が高い。治療の現場でも、チーム医療のリーダー役である医師や、看護師などコメディカルスタッフからの信頼を獲得していて、栄養管理について提言すれば“栄養の専門家が言うのだから”と受け入れられる。栄養管理や食事についてハンドリングして、自分の考えに基づいてアグレッシブに仕事ができる。栄養士にとってこれほどやりがいのある環境はない、と感じました」
日本の栄養士の現状ーそしてNST発足へ
アメリカで「患者の命を預かる」意識を持つ栄養士たちに囲まれてNSTで活動された先生。その実践を目指して、帰国後、新設の公立病院に入職します。しかし、そこでNSTの設置を訴えても必要性が理解されませんでした。栄養士の意識についてもアメリカとの大きな落差を感じたと、先生は言います。
「学校で習った知識を何年も更新せずに使い続けて、上司や先輩から言われたことに疑問を持たず、“なぜ現在このような状態になっているのか”と考えることもなく仕事をしている人が多い、という印象を抱きました」
また、臨床で必要不可欠な医学の基本知識もなければ、それについての問題意識もない様子に、先生はこう感じたそうです。
「これではコメディカルスタッフとしてチーム医療に加わることもできないし、NSTをつくったとしても、医師や看護師の信頼を獲得してチームをハンドリングすることはできない」
その後、日本の全科型NSTの先駆けとなった三重県の総合病院への転職を経て、先生は近森会理事長の近森正幸先生に出会います。がんや高齢者医療に長く携わってきた近森先生は、チーム医療やNSTの重要性を深く理解し、また栄養管理が治療成績に大きく関わることを実感していました。
近森病院に転職した先生は、コメディカルスタッフとして治療現場に立ち、自らの手でNSTをスタートさせます。